水岡俊一

この一年間で、全国を二回りしました。教職員や退職者のみなさまとお話しさせていただくことで、教員出身の政治家として、国会に戻って仕事がしたいとの思いをより一層強くしています。各地でよくお話しするのは、政治家を志したきっかけについてです。

水岡俊一

阪神淡路大震災が発生した1995年1月、兵庫県教職員組合に勤務していました。県内の学校などの被害状況を調査する中で、保護者を亡くした子どもがたくさんいることがわかりました。自分たちに何ができるのか。出した答えが、震災孤児のための奨学金制度の創設でした。現場復帰の道も残されていましたが、悩んだ末、最終的には「子どもの学びを支える仕組みづくりがしたい」と、奨学金創設の道を選びました。この制度づくりの経験が政治の道に入るきっかけでした。

水岡俊一

もう一つ、よくお話しするエピソードがあります。2010年に実現させた「高校授業料無償化制度」の成立経緯についてです。教員時代、中学三年の担任をしていた際、経済的理由で高校進学を断念せざるを得ない生徒がいました。「同じような境遇の子どもを支援できる社会の体制を作りたい」。そんな思いで同僚議員と共に法案を書き始めたのは、私の国会事務所でした。

水岡俊一

どんな子どもも安心して学び続けられる社会にしたい。それをサポートする教職員が安心して、やりがいをもって教育に専念できる環境を整備したい、というのが私の信念です。元教員として、教育現場の生の声を政治に反映していく。「希望ある未来を子どもたちに」を合言葉に、これからも活動を進めてまいります。